あたらしい広島県にふさわしいリーダーと政策をうみだしましょう!チェンジひろしま!


by change-hiroshima

カテゴリ:交通・街づくり( 1 )

「みんなであたらしい広島県をつくる会」は10月18日、福山駅前で、広島県知事選挙を前にした街頭演説を行なった後、鞆の浦を視察しました。

「エライ人だけでつくる」から「みんなでつくる」広島県へ

一行は12時15分福山駅前発の鞆鉄道バスで30分後に鞆港に到着しました。運賃は片道530円です。

その後、NPO法人「鞆まちづくり工房」が経営する「御舟宿いろは」で食事をしました。

竜馬の海援隊の「いろは丸」が、紀州藩の船と衝突し、沈没した事件があったのです。この場所で、日本史上初めて、紀州藩相手に万国公法(国際法)に基づいた談判を行い、賠償金を得たのです。

その後、鞆の街を一周しました。

途中、観光客が異常に多いことに気付きました。わたしも年一回は鞆を訪れるようになって25年以上になります。

しかし、こんなに鞆に観光客が訪れているのは初めてです。先週にまして観光客が多く、わたしが脱原発集会で10月3日に行った故郷・東京にいるかと勘違いしたくらいでした。


マスコミ報道どおり、埋立て架橋差し止めを命じた広島地裁判決以降、観光客が増えているのは事実だと、再確認しました。

 しかし、残念ながら、そうなると不心得な方々も増えます。狭い道に、山口ナンバー(明らかに観光客)の3ナンバーの大型乗用車が入り込み、人々の顰蹙(ひんしゅく)を買っていました。

 クルマで来るのはやめていただきたいと思います。

そうこうするうちに、鞆の名産・保命酒(ほめいしゅ)店のご主人に捕まり(?)、歴史の講義をしていただきました。

この地域は、江戸時代には、譜代大名の福山藩の領域でした。ところが、反幕府派の三条実美らが堂々とこの地に入り、泊まっていたのです。(もちろん、暗殺を警戒し、忍者返しなどがある部屋に宿泊していたのでしょう。)

この地域は、町衆(裕福な町人)の経済力が強く、経済力を背景に、自治権を武士に対して認めさせていたわけです。お寺もたくさんありますが、それだけ経済力があったということです。

鞆は、瀬戸内海の潮が東西からぶつかる場所で、瀬戸内を行く舟は必ずこの港を利用して停泊しないといけない、といっても過言ではありませんでした。

いわば、「海のドライブイン」だったのです。大伴旅人はこの地で歌を詠みました。

そして、足利尊氏は、新田義貞に敗れて西国へ落ち延びたのですが、途中この地に立ちより、光巌(こうごん)上皇から義貞討伐の院宣を受けました。そして、その後、九州で南朝の菊池氏を破り、勢いを盛り返し、再び関西方面へ攻め上り、湊川で楠木正成を討ち取り、京都入りしたのです。

足利幕府最後の将軍、足利義昭は、1573年に織田信長の逆鱗に触れて京を追放され、鞆にとどまり、毛利氏の庇護を受けたそうです。ですので、この地にいた期間を「鞆幕府」とも地元の人は呼ぶそうです。

江戸時代には朝鮮通信使が宿泊しましたし、幕末にはペリー提督、坂本竜馬、三条実美らが利用。近現代では志賀直哉や宮城道雄、そして大林監督や宮崎駿監督がこの地を愛しています。

そんな歴史上の英傑が見たのと同じ景色を共有できるのがこの空間です。

そんなことを考えながら、そのまま、常夜灯前に到着しました。例によって、「まちづくり工房」が呼びかけている埋立て架橋反対の署名の常設コーナーが人で埋まっていました。

観光客の男性と原告団の男性が会話をし、我々一行も割り込み(?)をさせていただきました。

観光客の男性は

「架橋反対だけではだめだ。まちをどうするかを考えよう。クルマがそんなに多いなら、地元住民だけは鞆町内をクルマでいけるようにすれば良い。

外部の観光客などは、町の出入り口に駐車場をつくって、そこに車を止めさせて後は歩かせるか自転車でよいだろう。公共交通機関という手段もある。いずれにせよ、こんなところをクルマではいってくるのはナンセンス。通過交通は、あなたがたがおっしゃるとおり、山側にトンネルを通してさばけばいい。」

と、街づくりへの建設的な提案と、心無い観光客への苦言を行なっていました。

そして、原告団の男性を「がんばってくれ」と激励していました。

「ふつうの人」が簡単に気付く事を、広島県知事も福山市長もしようとしない。ここまでくると、悲劇というよりは、ブラックジョーク状態なのが、今の広島県政なり福山市政ではないでしょうか?

ただ、希望もあります。知事選挙を巡る公開討論会を傍聴している視察参加メンバーは「候補者6人のうち2人は明確に架橋反対。残りの人も、『最初に戻って考え直せ』という点では一致しているのではないか?」と報告してくれました。

新知事に誰が当選しても、まず、裁判所にずさんだと指摘された計画は最初に戻って見直すべきでしょう。

中央の政権交代が良い方向に働いてくれれば、と思いますし、またそういう情勢を生かし、市民、県民も「エライ人」任せにしないで、自分たちで町をつくっていくのだ、という気持ちでがんばらないといけません。


みんなであたらしい広島県をつくる会 鞆の浦視察報告
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by change-hiroshima | 2009-10-20 19:06 | 交通・街づくり